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このブログ内のアトピー・アレルギーに関する記事はfukutomoの経験&主治医との相談を記録、整理したものです。医療判断・治療方針については必ずかかりつけ医と相談してください。 fukutomoってどんなひと?

完璧じゃない毎日だけど。1滴の重さを抱えながら、乳アレと歩き続ける私のこれまでの記録

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※このブログ内のアトピー・アレルギーに関する記事はfukutomoの経験&主治医との相談を記録、整理したものです。医学的アドバイスではありませんので、医療判断・治療方針については必ずかかりつけ医と相談してください

こんにちは、fukutomoです。

うちのいもちゃんは乳アレルギーを抱えています。最近はいろんなことを、そんなん大丈夫!と捉えられるようになっている私ですが乳アレルギーだけはいまだに恐怖が強すぎて、この1滴を与える手が震えない日はありません。

こんなストレスもう嫌だ、明日なんか来なければいいとさえ思ってしまう。そんな気持ちを打ち消すために、寝る前にそっとつぶやくの。『いもちゃん、生まれてきてくれてありがとう。だーい好きだよ!』って。

夜中に、ふいに胸がサワサワってなる瞬間ってありませんか。先生にこれくらいなら大丈夫っていわれても、ネットで検索しても、心のどこかに何かが引っかかっていて、いつまでもいつまでも自分が納得できる答えを探し続けて気づけば朝方になっちゃっているあの感覚。

「今日の判断は、これでよかったのかな」

「明日、また何かあったらどうしよう」

スマホの光の中で息を潜めながら、不安と対峙する夜。

私も、何度もそこにいました。いまでもそんな日がたくさんあります。

怖くて、悔しくて、でも強くならなきゃって、自分の心をぎゅっと握りしめすぎて、苦しくなった日もありました。

人から見たら小さな1滴でも、私にとっては命を背負った1滴。

あげるか、やめるか。

今日のコンディションを信じるか、疑うか。

たった数ccの前で、世界が大きく揺らぐ日々。

そんな時間をくぐり抜けてきた今、どうしても伝えたいことがあります。

その不安な気持ちがはち切れそうで、泣き出しそうなのはあなただけじゃない。

怖いと思うのは弱いからじゃない。それは、守りたい気持ちが誰よりも強い証。

今日は、私が自身の恐怖と向き合い、時には恐怖に押しつぶされながら歩んできた道のりを示します。

正直、摂取量は前進していません。何の参考にもならないでしょう。じゃあなぜこんな道のりを見せるのか?

こんなに怖がってるのは私だけ?怖くてこの1ccがあげれなくてごめんね!!って苦しんでる母に、あなただけじゃないよとただただ伝えたいから。

小さくてもいい。1滴ずつちゃんと進んでるから。

いもちゃんと母、これまでの道のり

はじまりと、最初のつまづき

いもちゃんは、帝王切開での出産でした。今では「生後3日間は母乳のみが乳アレルギーのリスクを下げる可能性がある」と言われていることを知りましたが、当時の私は知らず、身動きが取れずにいた生後1日だけミルクを与えました。【詳細記事はこちら】そして、その後は母乳のみで育てました。

この頃、あにぃは乳児湿疹からアトピーへの移行がありステロイドを3~4年使っていました。それで肌は落ち着いていましたが、花粉症発症をきっかけに目の周りの赤みが引かず、弱めのステロイドをずるずると目の周りに塗り続けることにモヤモヤ。「薬で抑えているだけでは根本解決にならないのでは」と考えるようになっていました。そんな時期といもちゃんの誕生とが重なり、いもちゃんにも軽い湿疹はありましたが「自然に落ち着くのを待つ」選択をしていました。

今の私なら根拠を持ってこの時期はつるつる肌が正解!!と叫ぶけれどね。

離乳食と、まだ食べられていた頃

離乳食が始まると、ヨーグルトも普通に食べられていました。食後に口まわりが赤くなることは時々あったけれど、他の食材でも同じ反応が出ることが多く、深刻に捉えていませんでした。

1歳の誕生日には、水切りヨーグルトを食パンに塗って、イチゴを乗せたケーキでお祝いした写真も残っています。あの頃は、間違いなく食べられていたのです。

1歳以降、少し景色が変わった

1歳過ぎに突発性湿疹にかかった時期くらいからちょっと様子が変わりました。それまでは、保育園でもおやつにミルクを30cc~50cc飲んでいたようなのですがミルクを飲んだ後、顔や首の赤みが増える日が出てきました。

保育園の看護師さんの勧めでアレルギー科を受診して検査。「今までヨーグルトだって食べられてたし、きっと違う」と心の中は思っていましたが、血液検査の結果は乳アレルギークラス2。心の準備なんてなかったものですから、心が現実に追いつけず、ただただどうしよう!と慌て、呼吸が浅くなる感覚がありました。

その場で今後の病院選びを迫られる

紹介先として提示された病院は2つ。

アレルギーだと思っていなかったので病院について下調べなどもしてきておらず、距離とか雰囲気とかも全然分からない。アレルギー科は普通に1か月先まで予約いっぱいということもあり、とにかく早く予約が取れる方!とA病院を選択しました。

行ってみて分かったのはA病院は、いもちゃんのクラス2ということも関係していたかもしれませんが「今摂取できている量を目安に、お母さんの裁量で少しずつ量を増やしていきましょう」というスタイル。負荷試験も「3歳くらいになってからでいいかも」ということで、血液検査も結局4歳まで行いませんでした。

後にお世話になるB病院は、シリンジで飲む量をきっちり指定し定期的に負荷試験を行いながら増量していく管理型。今振り返ると、最初からB病院を選んでいたらもっとうまく進められたのかもしれない!と思う自分がいます。私の性格に合っていたのは間違いなくギチギチに管理されて言い訳や逃げ場のないB病院。

でも、あの時の私はA病院を選んだ。優しさに甘えて言い訳して、定期的な乳摂取と増量とは遠いところをさまよった。

はじめての救急搬送

A病院で「以前食べられた量は基本食べられるはず」と言われ、赤みが出ることはあるけれど…とヨーグルト1個を食べさせてみました。久しぶりなんだから、半量くらいからチャレンジすればよかったのにね。

結果、唇が腫れ、咳が止まらず、足裏がパンパンに腫れて救急車で搬送。薬の効果もあり病院に着く頃には落ち着いたけれど「食べられなくなっている」という事実とアナフィラキシーの怖さが一気に押し寄せて、目の前が真っ暗になり今後のことを考えると絶望的な気持ちになりました。

その後は、週何回・何ccという明確な指示がない中、5ccから始めて15cc~20ccくらいをときどき与える形に。ただ、乳を与える度に「症状が出たらどうしよう」と心臓がバクバク拍動し、あげない理由ばかり探す自分がいました。「風邪気味だから」「朝に症状でちゃうと保育園行けなくなる」「夜は病院やってないから」…言い訳の裏側には、私自身の恐怖がありました。

見えていなかったリスクと軌跡みたいな偶然

一方で、菓子パンやお菓子など「乳が入っていても微量そうな加工品」は、あまり気にせず食べさせていました(あまりにも乳を強調するものは避けていたけれど)。今振り返ると、それが少しずつ乳を摂取できていた良い方向に働いたという一面もあるかもしれません。しかし、どれほどの乳が入っているかも分からないのに素人判断でよく無事だったなとも思います。危ない橋をスレスレのところでうまく渡ってきたのだと思います。無知って怖いですね。

そして結局私は、15cc前後をうろうろしながら、「半分の子は3歳までに治る」と聞いた言葉に、どこか期待を重ねて時が解決してくれるのをじっと待っていました。日によっては口や耳が痒いという日もあって、前より更に飲めなくなってる…と悪化の想像に飲み込まれそうになる自分もいました。

「いけてるかも」という日も確かにあった

4歳になる年の春には、アポロや小枝のファミリーパックの小袋1つ。キャラクターを型取ったチョコ1個など食べても平気な日々を過ごしていました。「もしかして、いけるのかも」そんな淡い期待を、私は確かに握りしめました。

はじめての負荷試験(風邪気味で)

A病院で、初めての負荷試験をすることに。少し風邪症状がありながらも、40ccを目標に3回に分けて増量する予定でした。しかし、余裕でイケると思っていた累計16ccで症状が出たため吸入してその日は終了。「体調もあるよね」と言われ、日常では10cc前後で摂取を続けることに。

2度目の救急搬送と、病院の変更

その後しばらくして胃腸炎(嘔吐と発熱)でダウンした、いもちゃん。嘔吐と熱が治って3日後、ヨーグルト小さじ2で激しい咳が止まらなくなり薬でも改善せず再び救急搬送。このとき初めてB病院へ行き吸入と点滴で1泊入院。

担当医からは「胃腸炎の後は、乳はもう少し休んだ方がよかったね」と説明があり、反応が起きた量と反応の経過からエピペンを処方されることに。このときはエピペンってもっと遠いところにあるものと思っていたので、「うちの子、そんなに重症だったんだ…」と崖から落とされた気持ちになりました。それでも、そんな私の不安な気持ちや「以前はもっと飲めていたんです!!」という藁にもすがりたい気持ち、どうしたらいいの…という困惑する気持ちを先生は全て受け止め、質問にも1つずつ丁寧に答えてくださった。私はどん底の気持ちの中で「自分は乳を与えるのは怖すぎるから今後一切与えたくない。けど私がやるしかない。誤食しても生きていられるくらいまでは頑張らねば。この先生と一緒になら頑張れるかも。」と思えました。

でも、怖いものは怖い

その後、胃腸炎がすっかり回復してから5ccは怖いので3ccの牛乳を与えると、口が痒いと言われ心臓はバクバク。薬で落ち着いたものの怖さは消えず、マリー1枚を与えるのが精一杯。1枚すら与えられず1/4枚の日もありました。

そんな中、保育園から「全身に蕁麻疹が出てるので迎えに来て下さい」と電話が。給食に乳は入っていないとのことで、思い当たる事といえば当日朝に食べたマリー1枚。時間の経過的に、冷静に考えれば因果関係はほぼないと思えるのですが私は恐怖から急いでその時開いていたアレルギークリニックを受診。

受診先では「アレルギーとは関係なさそうだけど、薬出します」と淡々と言われ、その言葉に傷ついた自分がいました。「おおげさな母親だと思われたかも」「アホだと思われたかも」…とひとり空回りしている自分が惨めで悲しかった。

翌日、ごく微量の乳成分が入ったふりかけを食べた直後にまた全身蕁麻疹。「微量ももう無理なの?」と私自身が極度に追い込まれ、もう乳記載のある食べ物は何も与えられなくなってしまいました。パンは乳不使用の豆乳パンに、加工品は全て成分チェック。乳と書いてあればダメ!!世界がどんどん狭く窮屈になる感覚がありました。

それでも、「このままではダメだ」と1/4からマリーを再開し、やっと1枚まで戻せた頃、血液検査へ。結果はクラス3に上がっていました。うすうす感じていた現実に、これまた静かに落ち込みました。と同時にB病院へ移る決心を固め、紹介状を書いてもらいました。

B病院での負荷試験。10ccに挑む

すっかりしょぼくれて、ほとんど乳を与えられずにいる現実を先生にお話。しばらく飲めていなかったから現状を確かめましょう!と言われ10cc飲めるか確かめることに。

私は内心「2.5ccだって怪しい」と震えながら、先生に「マリー1枚でも痒がるので、少量ずつ、慎重にお願いします」と念押し。先生は「今この牛乳を手に乗せたら赤くなると思う。口に入れて赤くなるのはその延長。そこは心配しすぎなくて大丈夫。それ以外の症状が出たら、都度対応しよう。慎重に進めようね」と優しく言ってくれて、私は少しだけ呼吸が深くなりました。

2.5ccでは口の中と耳の痒み、口まわりの赤みが出現。けれど悪化はせず時間をおいて追加の7.5cc。いやいやいや。2.5ccでこんなに症状出てるのに一気に7.5ccは危険でしょ!!せめて半分!!と母の心の声。けれど予想に反し、やはり痒みと赤みは出るけど、薬なしで完了。がっちがちの緊張が解けて母ぐったり。

けれども「10cc飲めた…」このことに、その日は今まで心の中から完全に失っていた小さな自信を取り戻しました。

今ここ!の私

週3回。自宅でも10ccと言われました。正直、怖い。だから一気に10ccは無理で、3~4cc→(30分)→4~5cc→(20分)→残り、という分割で様子を見ながら挑戦しています。空腹時は避けて、午前中に与えるように言われているので早起きして与える日々。保育園がある平日は、正直とても大変。

一気にやれば早いのは分かっているけど、私のメンタルが追いつかない。怖くなっちゃって7ccの日もあるし、9ccで咳が止まらなくなった日もある。この量なら絶対飲める!!って保障がないのがツラい。日によって揺らぐ。それを見極めて引くのか攻めるのか判断をせねばならない。乳を与える2時間は、今も生きた心地がしない。でも、やるしかないから、やっています。これが、今の私です。

何度も同じ場所で立ち止まりながら、それでもビビりながら歩いています。

※これは私たち親子の経過です。アレルギーは個人差が大きく、最適な進め方はお子さんごとに違います。必ず医師と相談し、指示に従って進めてくださいね

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